みなさまこんにちは。
さて、欧州から大変悲しいニュースが入ってきました。我らがシトロエンの7人乗りMPVである「グランドC4スペースツアラー」が、現行世代限りで廃止されてしまう模様なのです。
報道によると、シトロエンのヴィンセント・コビーCEOが英Autocar誌の取材に対し、グランドC4スペースツアラー(C4ST)は「何年もの間『ラスト・オブ・モヒカン』の状態」であり、「私たちが理解しなければならないのは、C4STはコンパクトMPVセグメントを過剰に支配しすぎていて、しかもそのセグメントはとてつもない早さで消滅しつつあるということです。」と語ったそうです。
コビー氏は2020年には「顧客がいる限りC4STを売り続ける」と語っていましたが、Carscoopsは「今回の発言は、シトロエンがC4STの廃止を積極的に検討していることを示唆するものだ。」と報じています。
「ついにピカソが終わるのか。」
そう感じられた7人乗り輸入車ファン、フランス車ファンの方も少なくないのではないでしょうか。
私たちは、かつて一世を風靡したMPVというスタイルの最後の灯りのひとつが、いままさに消えようとしているという、時代の転換点を目撃しています。
時代が変われば車も変わる。大きな時代の流れには、誰一人抗うことはできません。消えゆく車たちへの哀悼の意を込めて、欧州のMPVとはなんだったのかを振り返りながら、この素晴らしい7人乗りフランス車を偲びたいと思います。
■「元祖MPV」ルノー・エスパス
「MPV(Multi - Purpose Vehicle)」とは、要するに日本でいう「ミニバン」です。日本のミニバンは全高1.8mを超える四角いバンタイプのプロポーションに両側スライドドアを備えるのが主流です。しかし、走行性能やデザインが重視される欧州では、全高が1.7m程度に抑えられたヒンジドアのMPVが多かったのが特徴です。「ピープル・キャリアー」や「ピープル・ムーバー」もMPVと同じ意味で使われますし、日本と同様に「ミニバン」と呼ばれることもあります。
欧州におけるMPVの源流は、ルノーが1984年に発売した「エスパス」です。フランス語の車名はその名もずばり「空間」。人や荷物を満載しても乗用車のように快適に運転できるピープルキャリアーを目指して開発されました。もともとこの車は、英国クライスラー社のイギリス人デザイナーによって、当時クライスラーが所有していたフランスのマトラ「ランチョ」の後継車種として開発されていました。
しかし、エスパスの生産が開始される前の1978年、クライスラーUKがプジョーに売却されると、親会社プジョーはエスパスのアイデアが「高価でリスキーすぎる」として、その権利をマトラに譲渡するのです。
結局マトラはエスパスのアイデアをルノーに持ち込み、ルノーの委託を受けたマトラが生産することにより、1984年に初代エスパスが誕生しました。
エスパスが登場する前は、大家族は商用バンベースのミニバスか、ステーションワゴンの荷室に設置された小さな椅子に子供を押し込むしかありませんでした。
エスパスのボンネットの先端からフロントガラスの上端までなだらかに立ち上がるラインが印象的な「モノスペース」のプロポーションや、7人の乗員全員にフルサイズのシートと大きなまどが与えられたパッケージングは、当時としては革命的なデザインだったのです。
しかし、そのコンセプトがあまりに革新的すぎたためか、順調な滑り出しではありませんでした。発売から1ヶ月の登録台数は、なんとたったの9台だったそうです。
しかし、次第に認知度も向上し、初代は19万台を売り上げ、MPV市場をリードする存在となりました。2代目、3代目も累計30万台以上と、このカテゴリーとしては大きなセールスを記録します。
1993年にデビューした2代目エスパスでは、F1エンジンを搭載した「エスパスF1」など、ルノーのイメージ戦略の中心的存在としても活用されました。
現行エスパスは5代目となりますが、発売された2015年にはすでにMPVは「下火」とされていました。そのため5代目エスパスは「ラグジュアリー・クロスオーバーSUV」というコンセプトを打ち出してスタイルを一新するものの、往時の勢いはありません。左ハンドル車しか開発されなかったため、カングーやクリオが人気となっていた日本市場はもちろん、英国にも導入されることはありませんでした。
■天才「ピカソ」を拝命したシトロエンのMPV
「彼方にて空間が築かれ、此方では芸術が産まれる」とどこかで誰かが言ったかは知りませんが、エスパスに並ぶフランス製MPVが、シトロエンの「ピカソ」シリーズでした。
シトロエン初のMPVは1999年に登場した「クサラ・ピカソ」です。小型サルーン「クサラ」をベースとした5人乗りMPVバージョンとして、「ピカソ」というサブネームが与えられました。
「ピカソ」はもちろん、巨匠パブロ・ピカソのことです。ピカソ財団から許可を得て、ライセンス料を支払った上で名称使用権を得たものです。
クサラ・ピカソは発売直後の2000年から2004年までは毎年20万台前後を売るヒット。これに気を良くしたシトロエンは、C3ピカソやC4ピカソなど「ピカソラインナップ」を拡大していきます。
初代C4ピカソは欧州で2006年に発売。たまご型のプロポーションに宇宙船のようなインテリアが独特でした。2008年には18万台以上を販売し、欧州コンパクトMPV市場で確固たる地位を築き上げます。ロングボディ7人乗りバージョンのグランドC4ピカソは、「C4ピカソ」の名称で日本にも導入されました。
この世代までのシトロエンといえば、日本ではドのつく変態が買う車でした。「C6」という変態的なプロポーションの大型サルーン。「C4」という何の変哲もない変態ハッチバック。そして、「魔法の絨毯の如き乗り心地」とされたハイドロニューマチックという変態的な構造のサスペンション。クサラ・ピカソのデザインもセンターパッドが固定されたステアリングホイールも、何から何まで変態的だったのです。
シトロエンに貫かれている伝統の「クワーキネス(Quirkiness = 風変わりで個性的な印象、つまり変態性)」には、ごくごくごく一部の日本人には抗い難い魅力があったのでしょう。
日本における初代C4ピカソも例外ではありません。6速EGSの非力なクラッチがすり減って言うことを聞かなくなろうとも、ダッシュボードの樹脂パネルが日本の夏の温度に負けてめくれあがろうとも、リアのエアサスの空気が漏れて走行不能になろうとも、シトロエンオーナーは嬉々として受け入れていたのです。
しかし、その変態御用達ブランドのシトロエンも、2代目グランドC4ピカソや現行C3、そして3代目ベルランゴなど時代を経るごとに変態性は薄れ、「普通のフランス車」になっていきました。なんと国産ミニバンからシトロエンに乗り換えるような信じられない現象まで起きているのですから、時代は変わりました。
2代目C4ピカソも初代同様セールスは好調で、ピーク時には概ね年間10万台以上の販売を記録。欧州MPVマーケットの中心的な存在となりました。
私も乳幼児3人を連れて2013年の東京モーターショーに、水色のグランドC4ピカソだけを目的に行ったものです。もう8年も前ですね。
さて、欧州から大変悲しいニュースが入ってきました。我らがシトロエンの7人乗りMPVである「グランドC4スペースツアラー」が、現行世代限りで廃止されてしまう模様なのです。
報道によると、シトロエンのヴィンセント・コビーCEOが英Autocar誌の取材に対し、グランドC4スペースツアラー(C4ST)は「何年もの間『ラスト・オブ・モヒカン』の状態」であり、「私たちが理解しなければならないのは、C4STはコンパクトMPVセグメントを過剰に支配しすぎていて、しかもそのセグメントはとてつもない早さで消滅しつつあるということです。」と語ったそうです。
シトロエン・グランドC4スペースツアラー。
コビー氏は2020年には「顧客がいる限りC4STを売り続ける」と語っていましたが、Carscoopsは「今回の発言は、シトロエンがC4STの廃止を積極的に検討していることを示唆するものだ。」と報じています。
「ついにピカソが終わるのか。」
そう感じられた7人乗り輸入車ファン、フランス車ファンの方も少なくないのではないでしょうか。
私たちは、かつて一世を風靡したMPVというスタイルの最後の灯りのひとつが、いままさに消えようとしているという、時代の転換点を目撃しています。
時代が変われば車も変わる。大きな時代の流れには、誰一人抗うことはできません。消えゆく車たちへの哀悼の意を込めて、欧州のMPVとはなんだったのかを振り返りながら、この素晴らしい7人乗りフランス車を偲びたいと思います。
■「元祖MPV」ルノー・エスパス
「MPV(Multi - Purpose Vehicle)」とは、要するに日本でいう「ミニバン」です。日本のミニバンは全高1.8mを超える四角いバンタイプのプロポーションに両側スライドドアを備えるのが主流です。しかし、走行性能やデザインが重視される欧州では、全高が1.7m程度に抑えられたヒンジドアのMPVが多かったのが特徴です。「ピープル・キャリアー」や「ピープル・ムーバー」もMPVと同じ意味で使われますし、日本と同様に「ミニバン」と呼ばれることもあります。
欧州におけるMPVの源流は、ルノーが1984年に発売した「エスパス」です。フランス語の車名はその名もずばり「空間」。人や荷物を満載しても乗用車のように快適に運転できるピープルキャリアーを目指して開発されました。もともとこの車は、英国クライスラー社のイギリス人デザイナーによって、当時クライスラーが所有していたフランスのマトラ「ランチョ」の後継車種として開発されていました。
しかし、エスパスの生産が開始される前の1978年、クライスラーUKがプジョーに売却されると、親会社プジョーはエスパスのアイデアが「高価でリスキーすぎる」として、その権利をマトラに譲渡するのです。
結局マトラはエスパスのアイデアをルノーに持ち込み、ルノーの委託を受けたマトラが生産することにより、1984年に初代エスパスが誕生しました。
1984年発売の初代ルノー・エスパス。マトラの親会社だったシムカ社のパーツが使われていた。
エスパスが登場する前は、大家族は商用バンベースのミニバスか、ステーションワゴンの荷室に設置された小さな椅子に子供を押し込むしかありませんでした。
エスパスのボンネットの先端からフロントガラスの上端までなだらかに立ち上がるラインが印象的な「モノスペース」のプロポーションや、7人の乗員全員にフルサイズのシートと大きなまどが与えられたパッケージングは、当時としては革命的なデザインだったのです。
初代エスパスのインテリア。フルサイズのシートを7席確保するという現在でも稀有なパッケージング。
しかし、そのコンセプトがあまりに革新的すぎたためか、順調な滑り出しではありませんでした。発売から1ヶ月の登録台数は、なんとたったの9台だったそうです。
しかし、次第に認知度も向上し、初代は19万台を売り上げ、MPV市場をリードする存在となりました。2代目、3代目も累計30万台以上と、このカテゴリーとしては大きなセールスを記録します。
1993年にデビューした2代目エスパスでは、F1エンジンを搭載した「エスパスF1」など、ルノーのイメージ戦略の中心的存在としても活用されました。
エスパスF1。ウィリアムズ・ルノーの3.5リッターV10エンジンを搭載し、800馬力を誇った。
現行エスパスは5代目となりますが、発売された2015年にはすでにMPVは「下火」とされていました。そのため5代目エスパスは「ラグジュアリー・クロスオーバーSUV」というコンセプトを打ち出してスタイルを一新するものの、往時の勢いはありません。左ハンドル車しか開発されなかったため、カングーやクリオが人気となっていた日本市場はもちろん、英国にも導入されることはありませんでした。
5代目エスパス。売れなかった。
■天才「ピカソ」を拝命したシトロエンのMPV
「彼方にて空間が築かれ、此方では芸術が産まれる」とどこかで誰かが言ったかは知りませんが、エスパスに並ぶフランス製MPVが、シトロエンの「ピカソ」シリーズでした。
シトロエン初のMPVは1999年に登場した「クサラ・ピカソ」です。小型サルーン「クサラ」をベースとした5人乗りMPVバージョンとして、「ピカソ」というサブネームが与えられました。
シトロエン・クサラピカソ。フロント部分を隠すとどちらが前か後ろか分からないピラー配置が変態的。
「ピカソ」はもちろん、巨匠パブロ・ピカソのことです。ピカソ財団から許可を得て、ライセンス料を支払った上で名称使用権を得たものです。
クサラ・ピカソは発売直後の2000年から2004年までは毎年20万台前後を売るヒット。これに気を良くしたシトロエンは、C3ピカソやC4ピカソなど「ピカソラインナップ」を拡大していきます。
初代C4ピカソは欧州で2006年に発売。たまご型のプロポーションに宇宙船のようなインテリアが独特でした。2008年には18万台以上を販売し、欧州コンパクトMPV市場で確固たる地位を築き上げます。ロングボディ7人乗りバージョンのグランドC4ピカソは、「C4ピカソ」の名称で日本にも導入されました。
初代グランドC4ピカソ。「シトロエンの天才タマゴ」とか言ったらぶん殴られるでしょうか。
この世代までのシトロエンといえば、日本ではドのつく変態が買う車でした。「C6」という変態的なプロポーションの大型サルーン。「C4」という何の変哲もない変態ハッチバック。そして、「魔法の絨毯の如き乗り心地」とされたハイドロニューマチックという変態的な構造のサスペンション。クサラ・ピカソのデザインもセンターパッドが固定されたステアリングホイールも、何から何まで変態的だったのです。
シトロエンに貫かれている伝統の「クワーキネス(Quirkiness = 風変わりで個性的な印象、つまり変態性)」には、ごくごくごく一部の日本人には抗い難い魅力があったのでしょう。
日本における初代C4ピカソも例外ではありません。6速EGSの非力なクラッチがすり減って言うことを聞かなくなろうとも、ダッシュボードの樹脂パネルが日本の夏の温度に負けてめくれあがろうとも、リアのエアサスの空気が漏れて走行不能になろうとも、シトロエンオーナーは嬉々として受け入れていたのです。
しかし、その変態御用達ブランドのシトロエンも、2代目グランドC4ピカソや現行C3、そして3代目ベルランゴなど時代を経るごとに変態性は薄れ、「普通のフランス車」になっていきました。なんと国産ミニバンからシトロエンに乗り換えるような信じられない現象まで起きているのですから、時代は変わりました。
2代目C4ピカソも初代同様セールスは好調で、ピーク時には概ね年間10万台以上の販売を記録。欧州MPVマーケットの中心的な存在となりました。
私も乳幼児3人を連れて2013年の東京モーターショーに、水色のグランドC4ピカソだけを目的に行ったものです。もう8年も前ですね。
美しいブルー・テレスのグランドC4ピカソ。双子ちゃんもかわいいですねえ。
しかし、2018年にはモデルライフ途中にも関わらず、ピカソ財団との契約を終了し、「スペースツアラー」という、クワーキネスの欠片もない、どこにでもあるような名前に変更されます。これもMPVに割く余分なコストはないという姿勢の現れなのでしょう。
C4STの2020年の欧州での販売台数はわずか26,000台。こちらもエスパスと同様に、市場の縮小とともに販売を落としていきました。そしてらおそらく後継モデルは存在せず、消滅しようとしているのです。
私もタイミングさえ合えば購入していたかもしれない車だけに、残念な気持ちで胸が張り裂けそうです。
■百花繚乱のMPV。黄金の2010年代。
話をエスパスやC4ST以外にも広げてみましょう。2000年から2015年ごろまでにかけては、欧州メーカー各社が積極的にMPVを展開し、まさに百花繚乱の宴のようでした。どのようなモデルがあったのか振り返ってみましょう。
いかがでしょうか。商用車とボディを共用していない、純粋な乗用車としての7人乗りMPVに絞っても、20以上のモデルが存在していたのです。
フォルクスワーゲンやプジョーなどの大衆車メーカーだけでなく、BMWやメルセデス・ベンツも7人乗りMPV市場に参入していましたし、日本や韓国メーカーも欧州でのプレゼンス向上のためにしのぎを削っていたのです。
嘘のような本当の話。なんとフィアット500にも3列7人乗りMPVがラインナップされていました。
しかし、これらのMPVたちは大半が廃止されたり、コンセプトが変更されたりして消えていきました。プジョー5008は2代目へのフルモデルチェンジでSUVに転換して大ヒット。我が前愛車であった初代プジョー308SWはモノスペースコンセプトを取り入れた7人乗りのステーションワゴンでしたが、2代目308SWは一般的な5人乗りのステーションワゴンに戻っています。BMWは2シリーズアクティブツアラーの2代目を2021年10月に発表しましたが、7人乗りのグランツアラーは廃止されました。
2021年11月時点で市場に残っている乗用車ベースのMPVはご覧の通り。上記のリストの半分以下です。
上の表には現行モデルの製造開始年を記載しました。お気づきでしょうか。現存する欧州の3列シートMPVで最も新しい車種は、5年も前の2016年に発売された、ルノー・グランセニックなのです。そして、グランセニックとエスパス、ダチア・ロッジーはすでに2022年の廃止が決まっていて、C4STも数年内で消えゆくことは間違いなさそうです。
フォードのラージMPV、S-MAX。ギャラクシーと見分けられる方は相当な欧州MPVオタクです。
現存するMPVモデルは老兵ばかり。市場は末期に突入していて、冒頭の記事でシトロエンのコビーCEOが「ラスト・オブ・モヒカン」と表現したのは、まさにこのことなのです。
売れなければ新モデルが発売されない、新モデルが発売されなければ売れない、というダウンスパイラルによって、MPV市場は縮小の一途を辿っています。2009年には欧州で約167万台売れていたMPVの販売台数は2020年には68万台にまで落ち込みました。比率も12〜3%から7%にまで低下しているのです。
■MPVに未来はない、のか…?
風前の灯の欧州MPVですが、7人乗りや実用性の高い乗用車のニーズがなくなることはありません。絶滅の淵にあるMPVのDNAを受け継いだ子孫たちが生まれています。
多くのメーカーが流行のSUVに7人乗りを用意しています。MPVやミニバンと比べると実用性は少し落ちますが、プジョー5008なんてMPVの初代もSUVの2代目も使い勝手に大差はありません。我が愛車、メルセデス・ベンツGLBも7人乗りSUVです。
我が愛車GLB。中古車価格が新車価格を上回るほどの人気になっているとかいないとか(いる)。
また、5人乗りMPVはまだ選択肢があります。メルセデス・ベンツBクラスやBMW 2シリーズアクティブツアラーなどは、言うなれば背の高いハッチバックですが、モデルチェンジが続いているところをみると根強い需要があるのでしょう。5人乗りSUVでも、シトロエンC5エアクロスは後部座席を3座独立式にするなど、実用性に対する工夫が見られます。
そして、従来から存在していた商用車とボディを共有する7人乗りMPVも健在です。ステランティスグループのPSAは、プジョー・リフターやシトロエン・ベルランゴを初めて日本に導入するなど、これまであまり力を入れていなかったモデルを推す方向に舵を切っているようです。
シトロエン・ベルランゴ。国産からでも気軽に乗り換えられるフランス車(ただしスライドドアは手動)。
もっとも、エスパスが登場する前は、ピープルキャリアーといえばバンベースだったので、時代が遡ったのでしょうか。しかし、リフター・ベルランゴのプラットフォームは、プジョー308などの乗用車と同じEMP2です。プラットフォームの定義自体が曖昧であるとはいえ、トヨタでいえば、タウンエースやプロボックスがTNGA化されるということですから、欧州では小型商用車と乗用車の垣根がなくなっているとみることができるでしょう。
そして、昨今のEV展開の活発化は、MPVにとっては追い風なのかもしれません。フォルクスワーゲンは往年の「タイプ2」のEV版といえる「ID.BUZZ」の発売を計画していますし、なんとあのMINIも「Urbanaut(アーバノート)」という小型ミニバンタイプのコンセプトカーを発表しているのです。
往年のタイプ2を現代的に解釈したID.BUZZコンセプト。「MPVに明るい未来が?」と界隈が湧き立ちました。
「ID. BUZZ」はすでに市販に向けてプロトタイプが公開されており、「Urbanaut」は市販の可能性は未定ながら、MINIは発売を目指していると報道されています。
ID.BUZZのプロトタイプ。コンセプトの丸みを帯びたプロポーションや、ルーフ前端の「ひさし」がなくなり、「普通のバンじゃねえか」と一同がもんどりうってズッコケました。
このMPVの真冬の時代に、両社がなぜ相次いでMPVを発表するのか、私にはその真意を読み取ることはまだできていません。
SUVブームの次に来るのが電動MPVということなのか、EVにとってMPVが作りやすいということなのか、それは分かりませんが、SUVで塗り固められた風景に新しい風が吹くことになれば、面白くなりそうです。
MINI Urbanaut。ほんとうに発売されるんでしょうか。
えっ、お前よく冒頭の観測記事1本だけでこんなに長々と書いたなって?
そうですね。もしこれで仮にグランドC4ピカソの3代目が登場するようなことがあったら、私は「死徒露炎・ピカ太郎」にでも改名しますかね。
【参考】
30 YEARS OF ESPACE, HOW MANY STORIES?
Autoevolution - Renault Espace
The History of Renault Espace
Renault Espace: best cars in the history of WhatCar?
座席の間に800馬力のF1エンジンを積んだ衝撃作! 間違いなく史上最強の「怪物ミニバン」のエスパスF1って何もの?
Citroën C4 Picasso
New Passenger Cars By Segment in the EU
MINI Urbanaut could make production
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